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北国街道海野宿

宿場から養蚕の村へ 「海野宿」

 海野宿は寛永二年(一六二五)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。

 寛保二年(一七四二)の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、大変な賑わいを呈していました。

 海野宿の街並は、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てられた養蚕造りの建物が調和した伝統的な家並みが魅力です。道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸の美しい家並みは、歴史のふる里を思わせる静かな佇まいを感じさせてくれます。

 伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」の一つとして選ばれ、昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるなど、街道一帯が貴重な文化財となっています。

真田氏の守護神 「白鳥神社」

 海野宿の位置する本海野の地は、真田氏と由縁の深い地です。戦国の名称真田氏の祖とされる滋野一族「海野氏」発祥の地で、古くは木曽義仲挙兵の地となり、鎌倉、戦国時代までの永きにわたり、その本領でした。真田氏も自らが海野氏の継承者であることを誇りとしたのです。また、真田昌幸は上田城築城の際、先祖の地である海野郷の住民を呼び寄せ、城下、大手の門前に海野町を築きました。故に、「もと・うんの」本海野という名になったという訳です。

 その海野宿にある白鳥神社は、海野氏、真田氏の氏神として祀られた日本武尊の伝統を縁起とする歴史ある神社です。日本武尊と海野氏、真田氏の祖とされる貞保親王、善淵王を祭神に白鳥明神となし、真田家からも代々篤い信仰を受けてきました。真田御武功記に、その霊験が伝わります。

 天文十年(一五四一)、武田信虎が海野平を攻め海野一族が滅亡に追い込まれた時のこと、死を覚悟した真田幸隆(白鳥神社に伝わる系図には海野棟綱の孫とある)の眼前に女神が現れ「この鉾を持って出よ、末はめでたかるべし、我は白鳥明神のつかわしなり」と告げました。鉾を手渡すと女神は消えてしまいましたが、これこそは白鳥明神の神託であると、幸隆は一党を集めて円陣を組み敵陣の真只中へ中央突破を敢行、敵勢はその勢いに道を開きました。戦場を脱出した後、幸隆は武田信玄に仕え一族を再興したのです。

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商工観光課観光係
電話:0268-64-5895 | ファクシミリ:0268-64-5881
メール:syoko-kanko@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2019年10月7日

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