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布岩

 

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布岩(ぬのいわ)

市名勝

昭和42年12月11日指定

布下地籍の千曲川左岸に見られる断崖の中腹には、“白い布を掛けた”ような白い層が、断崖を右下がりに斜めに貫いている様子が見られます。この白い層が、「牛にひかれて善光寺まいり」の伝説の中に登場する「布岩」です。
その伝説によると、昔、布引観音の近くに欲が深く無信心の老婆が住んでいたそうです。ある日、その老婆が庭に白い布を干しておくと、一頭の牛がやって来て、その白布を角に引っかけて走り出しました。そこで、老婆はその牛を追いかけて行くと、善光寺まで行き着きました。すると、牛は忽然と姿を消し、その代わりに善光寺如来が現れました。老婆は、その威徳に心を打たれ、そこで信仰心に目覚めました。その後、白布はいつの間にか老婆の家に舞い戻り、岸壁に張り付いて「布岩」になったというものです(牛は布引観音の化身だった…など少し話の内容が違う伝説もあります)。
こうした伝説が生まれるほど、遠くからもよく目立つ断崖の白い層ですが、地質学的には、この断崖は新生代第四紀更新世(こうしんせい)前期中頃に堆積を始めた布引層の凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)でできています。しかし、白い布のように見える部分は、灰白色の凝灰岩で、周りの岩と種類が違っています。この白い層ができてきた過程を調べてみると、布引層が古小諸湖に堆積した後、上昇して陸化し、浸食を受けている時期に地殻変動が起こり、大きな割れ目ができました。その後、古瓜生坂湖(こうりゅうざかこ)が形成されるようになると、この割れ目を持つ地層も湖底に沈みますが、その頃東方の火山から噴出した火山灰が湖に流れ込み、この割れ目を埋めていきます。そして、時代の経過と共に、その火山灰が固まり灰白色の凝灰岩になったようです。
従って、「布岩」の白い所は火山灰が固まったもので、新生代第四紀更新世前期の終わり頃にできたものではないかと思われます。

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所在地 東御市布下

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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