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立野萱沢入窯跡

 

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立野萱沢入窯跡(たてのかやさわいりようせき)

市史跡

昭和52年11月10日指定

北御牧大日向の北御牧小学校から南方に御牧原台地の急坂を登りつめ、そこから北東の千曲川方向に下ると、小河川によって浸食されてできた比較的深い沢が存在しています。窯跡は、その沢の西側斜面に構築されています。
御牧原台地と八重原台地には、奈良時代の8世紀後半から平安時代の10世紀前半までの間に、須恵器(すえき)を焼いた窯が数多く存在しますが、奈良時代の窯は5基で、多くは平安時代に構築されました。窯には平地式の平窯(ひらがま)や地下式の窖窯(あながま)、半地下式の登り窯などがありますが、当地域は半地下式の登り窯が圧倒的です。昭和61年(1986)の調査では、御牧原台地では41基、八重原台地では30基の計79基が確認されています。これらの窯によって焼かれた須恵器の坏や甕は、佐久平や上田盆地など広範囲に供給していたものと推察されます。
立野萱沢入窯跡の現状は、薪を投入する焚口部と、製品を取り出したときにでた不良品や掻き出した灰を捨てる灰原部は、沢の浸食によって削り取られすでに存在していませんが、窯体(ようたい)は良好な状態で残っています。残存部の全長は約7m、幅は約2mで、斜面を掘って窯底そして壁や天井を築いた半地下式の登り窯で、窯底は有段式である可能性もありますが、断面から見るとこの地域で一般的な無段で船底状をしている可能性が高いと推察されます。天井部は落下していますが、天井を構築したときのスサ入りの粘土槐が広範に存在しており、落下以後は破壊された形跡はありません。浸食された断面からは、窯宰や須恵器の坏(身と蓋)・甕の破片が数多く検出され、中には円面硯(えんめんけん)の破片も見つかっており、これらの遺物から平安時代の窯跡であることがわかっています。
本窯跡の発見は、昭和45年度(1970)に長野県教育委員会が主体となって実施した分布調査のときであり、「農業振興等開発地域埋蔵文化財緊急分布調査報告書」が刊行されています。また昭和50年度(1975)に再び長野県教育委員会によって分布調査が実施され、「北陸新幹線建設予定地域内埋蔵文化財緊急分布調査報告書」が刊行されています。その折貴重な窯跡の存在を再認識し、旧北御牧村教育委員会によって上屋がかけられ保存が図られています。

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所有者 個人

所在地 東御市御牧原742-1

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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