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四ッ京塚

 

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四ッ京塚(よつきょうづか)

市史跡

昭和52年11月10日指定

御牧原台地のゆるやかな傾斜地、南部の四ッ京地籍の畑に所在します。直径約6m、高さ約1.8mのほぼ同規模の塚が4基、21mの等間隔で南北一直線に並んでいます。
明治11年(1878)の『下之城村村誌』はこの塚を経塚であると説明していますが、この地が朝廷の御牧(みまき)だった時代に、馬の調教に使用した施設であるとの説もあり、塚の性格、築造時期・目的などは不明です。
この地に次のような言い伝えがあります。四ッ京地籍を西に下ったところに佐久市望月印内の集落があります。印内はもと院内といい、そこには月輪寺という天台宗の立派な寺がありました。広大な寺領をもち隆盛をきわめていましたが、織田信長に焼き打ちされました。その時の住職が経典の焼失するのを恐れ、ひそかに持ち出し、御牧原に塚を築いて埋納しました。さらに、偽装のため同形の塚を3つ造り、経典の安全を図りました。これが四ッ経塚で、経が京になまって四ッ京塚になったといいます。
伝承はともかく、この四つの塚は住民にとって大切な史跡であり、現在、この地の地名になっています。

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所有者 個人

所在地 東御市御牧原四ッ京塚609

  更新日:2023年3月31日

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