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下之城跡

 

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下之城跡(しものじょうあと)

市史跡

昭和52年11月10日指定

下之城跡は、御牧原台地の西麓で、鹿曲川右岸の舌状に突き出した断崖に築城されています。
御牧原台地から、小河川ではあるが浸食によって比較的深い谷を作り出している諸沢川(もろさわがわ)が、下之城跡の南側を流下して鹿曲川に合流し、また、城跡の北側は、南側の沢を形成する以前に諸沢川が流れたとみられる浸食によって谷状の地形を形成しています。この南北の谷と鹿曲川に面した断崖によって下之城跡は囲まれています。
下之城跡は、その立地や下之城地区及びその周辺に望月氏関係の古い文化財が集中していること等より、戦国時代に望月氏が現在の望月に本拠を移す前の元来の望月城そのものであったと考えられるようになっています。(『北御牧村誌』『望月町誌』)
古代から中世の古い城跡は、城と館が一体となった館城と呼ばれる構造をなしており、守りのための土塁や空堀が構築されています。それに対し中世末期の戦国時代になると、山頂に見張りや戦いのときの場として山城を構築し、平地に政務を執ったり生活する居館を造っています。従って、下之城跡は古い形態のいわゆる城館跡ということができます。
下之城跡は、自然の谷に囲まれた比較的平易な位置に平坦で広い郭を造成し、そこに土塁や曲輪を構築しています。主郭の規模は、東西190m、南北60m~70mで、中央部には北側に60mほど突き出した地形がみられ、そこに東西方向に土塁が僅かに残存しています。諸沢川が接触する東側の郭は、現在道路によって寸断され独立した郭の様相を呈していますが、この道路は城館が構築された以後に二次的に作られた空堀で、初期段階では一連の郭を成していたものとされています。この空堀の中央から主郭に入ると、東西方向に小規模な土塁が存在していますが、北側半分は削平されてしまっています。
曲輪は、西側から北側にかかる斜面に存在していますが、小規模に構築されています。空堀の北側には、姫の化粧水との伝承のある井戸跡があり、また付近には御前・御前渕・陽学寺などの字名が存在しており、下之城跡との関係が想定されています。

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所有者 個人

所在地 東御市下之城458-3他

  更新日:2023年3月31日

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