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玉の井霊泉

 

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玉の井霊泉(たまのいれいせん)

市史跡

昭和42年12月11日指定

蓼科山(海抜高度2,530m)を源流とする鹿曲川は、春日渓谷の上流「五斗水源水」や大門川上流の「弁天神源水」をはじめとして、大小幾多の湧水を集めてそれぞれの峡谷を経て、 島川原地籍で千曲川に合しています。下流域の北御牧では、東に御牧原台地、西に桐原郷と称された塩沢・八重原台地の中間を流下しつつ、両岸を浸食して、狭隘の流域を形づくっています。
下之城地籍では、特に西岸の浸食度が強く、場所によっては崖となり、狭い平地(扇状地) には、屋敷と称される集落(畔田・宮・玉の井・田之尻・本下之城・八反田・切久保)が、 成り立っています。
そのひとつ、玉の井屋敷の南は地字「清水」・西隣りは「上の平」と呼ばれています。字名に示されるように湧水は、人々にとっては「玉」の井戸に値したものと思います。鎌倉時代初期(1200年)ころ、望月の三郎もその水を飲んだと伝承されています。
御牧原台地は、奈良・平安の時代(7~8世紀)頃から牧場の経営がみられますが、その牧場の運営に関与しただろうとする、滋野氏の一族が望月氏だったと推測されます。その三郎が、望月の城主としてこの地を支配していました城(根拠地)は、現在の本下之城の字名城であります。城の一郭には井戸があって、姫の「化粧井戸」との言い伝えもあります。玉の井の湧水と相通じるものを覚えます。
玉の井の霊泉は、現在も集落の水道水の水源として利用され、源泉のかたわらには「市杵島媛」の石のほこらが建てられ、玉清水と尊称されています。

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所有者 個人

所在地 東御市下之城清水1341

  更新日:2023年3月31日

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