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力士雷電生家

 

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力士雷電生家(りきしらいでんせいか) (雷電為右衛門の生家・碑・墓等)

市史跡

昭和42年3月27日指定

江戸時代の強豪力士として知られる雷電為右衛門(らいでんためえもん)は、明和4年(1767)に、信濃国小県郡大石村(東御市滋野大石)の関半右衛門(せきはんうえもん)家に生まれました。幼名は太郎吉です。
寛政2年(1790)付け出し関脇として土俵にのぼって以来、文化8年(1811)引退までの成績は、総取組数285・勝星254・負星10・勝負預り等21、勝率9割6分2厘と伝えられています。体格は、身長7尺(約2.1m)から6尺5寸(約1.97m)、一説には6尺7寸5分(約2.02m)、体重49貫600匁(約168.8㎏)となっています。
雷電は、寛政10年(1798)に生家を、若い頃に世話になった長瀬の上原源吾右衛門(うえはらげんごえもん)の家をまねて、金50両を投じて改築しました。(昭和59年(1984)老朽化のため関係者の協力で、解体復元されました。)
孝心に厚かった雷電は、父の死後、供養の石塔を建てるにあたり、父半右衛門が生前、酒が好きだったので、冥土の旅には酒を不自由させない心遣いから、笠石には盃を、棹石(さおいし)には酒樽を、台石には酒枡を形どって造らせています。
旧北国街道牧家集落に、佐久間象山撰文(さくまぞうざんせんぶん)ならびに書による「力士雷電之碑」が建っています。僅かな空地に2つの碑があり、1つは南面(新碑)し、1つは西面(旧碑)しています。 以前は、この碑片を欠き取って身につけていると、立身出世するとか、勝負事に勝つとかの迷信がありました。そのため、欠いて持ち去る者が多く、碑文が読めなくなりましたので、新しい碑が建てられました。

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※生家の見学は午前9時から午後5時までです。(休館日はありません)

所有者 東御市(生家)

所在地 東御市滋野乙1981-2(大石金子)

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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