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山浦真雄宅跡

 

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山浦真雄宅跡(やまうらまさおたくあと)

長野県史跡

昭和37年7月12日指定

山浦真雄宅跡は、千曲川の断崖に臨んだ景勝の地にあり、伝説で有名な「牛に引かれて善光寺まいり」の「布引の岩」が千曲川をはさんだ対岸の絶壁に眺められます。刀工山浦真雄(やまうらまさお)・清麿(きよまろ)兄弟の生家(母屋)自体は残っていませんが、土蔵風の納屋(約2m四方)と石造の水瓶2基および天保2年(1831)に真雄が建てた石灯篭が残存しています。石灯篭には「御武運長久」そして「敬建」ともあり、真雄が小諸藩主牧野氏の武運長久を祈って建立したものとみられます。
真雄は文化元年(1804)に小諸藩領赤岩村の名主の家に生まれましたが、剣術修業をするなかで納得のいく刀を自分で制作しようとし、古式の優れた鍛法を極めようとしました。江戸の水心子正秀(すいしんしまさひで)に作刀の手ほどきを受け、また上田藩の刀工河村寿隆(かわむらとしたか)に入門しています。生家において昼は諸用(名主職・農事)にあたるかたわら、夜毎に弟の清麿と二人で鍛刀に励んだ、と晩年の手記「老(おい)の寝ざめ」に記してもいます。
天保10年(1839)には牧野氏の、次いでは上田藩主松平氏の佩刀(腰に帯びる刀)制作の注文をうけるなど、小諸や上田で本格的な刀鍛冶として過ごすようになり、嘉永6年(1853)からは松代藩工としての多くの名作を残しました。明治7年(1874)、火災で焼失した生家の事後処理のために赤岩を訪れ、焼け残った現存の納屋で寝起きしていた折に倒れ間もなく死去したといい、この地に葬られました。71歳でした。
弟の清麿は江戸四谷に住み、四谷正宗と讃えられた名刀工として知られています。

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所有者 個人

所在地 東御市滋野甲1939(赤岩本郷)

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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