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祢津お姫様巨石

 

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祢津お姫様巨石(ねつおひめさまきょせき)

市有形民俗文化財

昭和59年3月8日指定

「祢津のお姫様」の御本体でもあるこの巨石は、高さ約6m、幅約16m、奥行約15mという大きなものですが、これは烏帽子岳溶岩が固まった輝石安山岩(きせきあんざんがん)という種類の岩石です。
この巨石の正面(拝殿の建物に接している面)には、釈迦如来(しゃかにょらい)と多宝如来(たほうにょらい)の2尊像の座像が蓮華座の上に並んで線彫りされています。そしてこの両像の間には「南無妙法蓮華経」および「了照院殿月秀日普」と彫られていますが、拝殿の建物との間の空間が狭いために、 これらの像や文字をはっきりと見るのは大変です。
ここに見える了照院(りょうしょういん)とは、祢津領主松平忠節(まつだいらただとき)公の奥方の法名です。 この方は生前、婦人病に悩まされました。しかし霊夢の導きでこの巨石に祈願を込めたところ、病から脱することができました。その喜びを多くの女性達に施すために、この巨石の傍らに庵を結び、病を持つ多くの女性の救済に尽くしたとのことです。
了照院は貞享2年(1685)に亡くなりましたが、その遺骨をこの巨石の傍に葬り「お姫様(お姫尊)」と称したところ、その遺徳を慕い多くの人々が参拝し、講をつくって毎年遠方から訪れる人も見られました。「巨大な物には霊力が宿る」との信仰と、殿様の奥方の難病を治した仏の霊験な力を得たいと願った庶民の気持ちが重なって「お姫様」への信仰が広まったものと思われます。
(なお、江戸の松平氏菩提寺である谷中了俒寺(りょうごんじ)の歴代当主夫妻の合葬墓には、忠節妻の法名だけは刻まれていません。これは、忠節妻・了照院は祢津に埋葬され、この巨石自体がその墓石であったためとみられます。)

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所有者 定津院

所在地 東御市祢津・西宮2455

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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