1. トップページ>
  2. 市民向け情報>
  3. 教育・文化・スポーツ>
  4. 文化財>
  5. 桜井神社本殿彫刻

桜井神社本殿彫刻

 

img20220620_23155736

桜井神社本殿彫刻(さくらいじんじゃほんでんちょうこく)

市有形文化財・彫刻

平成7年5月26日指定

桜井神社は火災による焼失後、明治20年(1887)に現在の社殿が再建されています。本殿には様々な彫刻が見られますが、特に左右と背面の胴羽目には著名な伝説の場面が、欅(けやき)の一枚板に彫られています。
向かって左側(西面)は、江戸城を築いた太田道灌(おおたどうかん)が狩りに出た先で激しいにわか雨にあい、一軒の農家に立ち寄り蓑(みの)を借りようとしたところ、娘が出てきて庭に咲いていた山吹の枝を折って道灌に差出したという有名な話の情景です。「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」という古歌にこよせて雨具のないことをわびた、というものです。
右側(東面)は、湊川の戦いで楠木正成を討ったという大森彦七が、伊予(愛媛県)の矢取川を渡ろうとしたおりに、正成の怨霊の化身である鬼女に遭遇したという伝説の場面です。背面(北)の人物には「雷震」「華陽夫人」と刻まれており、天竺(インド)で九尾(九本の尾)の狐が美女に化けて王妃となり、暴虐の限りをつくしたという華陽夫人の伝説で、夫人が成敗された場面とみられるものです。
この桜井神社本殿の優れた彫刻については、江戸彫工三流派の一つ石川流の彫師で宮大工でもあった山崎儀作(1831~1898)の作であることが、草間律氏の近年の研究により明らかになりました。儀作は妻科(長野市)の人で北信を中心に幕末から明治にかけて活躍し、優れた作品を数多く残しています。また、明治20年には、桜井神社での仕事につづいて森山(小諸市)の諏訪神社本殿の彫刻作成にあたっているとのことで、両社殿の彫物の作風はやはり似てもいます。
(以上、主に草間氏の講演資料による)

太田道灌と山吹を差し出す娘(太田道灌と山吹を差し出す娘)

大森彦七と矢取川の鬼女(大森彦七と矢取川の鬼女)


所有者 桜井区

所在地 東御市滋野・桜井1044-2

  更新日:2023年3月31日

▲このページの先頭へ