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祢津陣屋

 

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祢津陣屋(ねつじんや)

市有形文化財・建造物

昭和62年2月18日指定

祢津旗本領は寛永元年(1624)、松平忠節(まつだいらただとき)が小県郡内に3千石(祢津組)佐久郡内に2千石(向井組)の合わせて5千石を得て創設され、以後明治維新(1867)まで続きました。美濃大垣五万石を領した久松・松平忠良(ひさまつ・まつだいらただよし)が寛永元年(1624)に没すると、後を継いだ憲良(のりよし・5才)は、幼少を理由に小諸五万石に転封となり、庶子の忠節に小県郡内に3千石(祢津組)と佐久郡内に2千石(向井組)が分知され旗本とし、明治維新まで存続しました。
旗本松平氏は江戸で家臣らと共に生活をし、祢津領内には奉行や代官などを住まわせて、5千石の知行所の支配をさせました。その奉行や代官の役所を陣屋といい、初めは東上田に置かれ、まもなく現在地の西宮の立町に移されました。奉行所・会所(かいしょ)・文書倉(もんじょくら)・長屋・御番所(おばんしょ)・稽古場(けいこば)・稲荷社などの建物のほか、庭園などがありましたが、現在「お屋敷」と呼ばれている陣屋跡には、表門・文書倉・塀・庭園・石橋が残されています。お屋敷の北方の「お蔵・あるき屋敷」地籍の500坪(約1650㎡)を含めると、 陣屋の総面積は1町6反(約16,000㎡)という広大な場所となり、旗本陣屋がこれほど大きな規模で残されている例は珍しく、貴重な歴史的遺構と言えましょう。
なお、この陣屋の警備のために、立町の南北に桝形(ますがた・広く平らな方形の地)をつくり、そこに番所を置き、また、塚久保西側の入口にも桝形を、下宿・古見立には番屋(所)を置き、 陣屋を守らせました。

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所有者 個人

所在地 東御市祢津・西宮2227

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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