1. トップページ>
  2. 市民向け情報>
  3. 教育・文化・スポーツ>
  4. 文化財>
  5. 廃海善寺石塔基礎

廃海善寺石塔基礎

 

img20220620_22064662

廃海善寺石塔基礎(はいかいぜんじせきとうきそ)

市有形文化財・建造物

昭和42年3月27日指定

この宝篋印塔(ほうきょういんとう)の塔身をのせる基礎は、昭和21年(1946)、海善寺区字西日向の畑で見つかりました。
この基礎の側面には「文保□□(二年か)□月十□ 比丘尼沙弥恵」と刻まれており「文保」は鎌倉時代末の年号、西暦1317、18年であることから、今から約700年前に造られた石塔の一部ということになり、海善寺の歴史を語る貴重な資料です。
この畑からは、このほかに五輪塔や多宝塔などの一部分がたくさん出土しています。
海善寺は、平安時代に海野に屋敷を構えた豪族、海野氏の祈願寺として建てられたと考えられています。その後、真田昌幸が上田城を築いたとき、上田へ「開善寺」として移し(現在も上田市の新田に「海禅寺」として残っています)、やがてその子、真田信之が松代へ移封のとき、松代の西条へ移され今も残っています。
石塔基礎は、現在は曽根の興善寺境内に大切に保存されています。


img20220620_22072209
※石塔の基礎
高 さ:30㎝
底 面:46㎝×46㎝
上 面:幅3.5㎝の枠を回し、それから2㎝あげて幅7.5㎝の枠を作ってその中心穴が彫り込まれている。
中心穴:24㎝×24㎝・深さ12㎝の四角形の穴にくりぬいてあり、その上に塔身をのせる。中心に武将などの骨やお経などを納入した。

所有者 興善寺

所在地 東御市和1557

  更新日:2023年3月31日

▲このページの先頭へ