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木造阿弥陀三尊像

 

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木造阿弥陀三尊像(もくぞうあみださんぞんぞう)

長野県宝・建造物

昭和51年3月29日指定

大日向の日照山観音寺は、小諸の光岳寺の末寺で、光岳寺の第二世、円蓮社徳誉上人が寛文11年(1671)に隠居寺として開基しました。
かつては大日向村の北方、寺屋敷というところにあり、宝暦元年(1751)失火によって全焼し、第四世神誉上人によって当地に再建されました。
本尊は阿弥陀如来で、その両脇に控える脇侍仏の観音菩薩と勢至(せいし)菩薩の三体を、阿弥陀三尊像といいます。
像は桧(ひのき)材、寄木造り、漆箔で、座像ながら本尊は像高89.5㎝、厚手の材を用い、胸の張りが豊かで、頬も爽やかに引き締まり、彫眼は切れ長で、俯瞰の相です。厚手の襟は低めに反りがあり、下腹部の衣丈も幅広厚手で、稜がつけてあります。衣丈は全体に簡素で、その制作は、建仁年間(1201~1203)ごろにさかのぼるかとみられ鎌倉時代初期の作風がよく でているといわれています。
脇侍両菩薩はほとんど一木造りで、観音像は60㎝、蓮台を持って座し、勢至像は61㎝、合掌して右膝を立て座しています。ともに入りの深い刀法で、肉どりが豊かで、全体に力強い作風といわれています。
この阿弥陀三尊像は、往古越後の国三島郡坂下谷の古刹曼陀羅寺(まんだらじ)の本尊でしたが、明暦 2年(1656)越後長岡藩牧野氏から分家、三島郡与坂藩一万石の藩主となった牧野康成が藩主の菩提寺として、曼陀羅山馨番泰安寺(淨土宗)を開基し、前寺から三尊像を主尊としてお迎えしました。
元禄15年(1702)9月、三代目康重の時、牧野氏は小諸藩一万五千石に移封となりました。この時、泰安寺も本尊の三尊像と共に、前城主石川氏の菩提寺跡(旧 三の丸)に移り、小諸泰安寺となりました。明治4年(1871)廃藩とともに、泰安寺も廃寺 となり、阿弥陀三尊像は小諸町内の光岳寺に保管され、明治初期観音寺檀信徒の願いによって本寺の主尊として光岳寺からお迎えし、昭和52年(1977)に完成した収蔵庫の中に安置されました。

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所有者 観音寺

所在地 東御市大日向屋敷258

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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