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野馬除跡

 

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野馬除跡(のまよけあと)

市史跡

昭和42年12月11日指定

我が国における馬は、4世紀末に大陸からもたらされたのが最初といわれ、蒙古馬系で体高130cm程の中型馬でした。馬は大和朝廷や地方豪族が政務に利用したり、ときには権力を象徴するものとして、重要な存在でした。律令期には、兵部省(ひょうぶしょう)が馬制を担当し、奈良時代には馬寮が設置されました。奈良〜平安時代においては、左馬寮と右馬寮が置かれ、勅使牧(御牧)が信濃に16牧、上野に9牧、武蔵に4牧、甲斐に3牧が設けられました。望月牧は、信濃御牧の中では最も遅い段階の平安時代初頭に、16番目の牧として設置されました。
望月牧の放牧場は、東御市・小諸市・佐久市にまたがる御牧原台地に位置していました。1期放牧場(2km×1km)は、佐久市の須釜原を中心に存在し、2期放牧場(6km×4km)は、東御市の旧北御牧村の広い地籍に設置されていました。放牧場の周囲には、馬が囲いから出ないように湟(こう・溝)が掘られ、脇には土塁が構築され、そこに格(柵)が立て巡らされていました。この湟と土塁のことを「野馬除跡」と呼んでいます。野馬除は、本来放牧場の周囲全体を囲んでいたはずですが、明治時代以降の開拓や道路整備によって多くが破壊されたり埋められたりしており、現在10地点程に分断された状態で残されています。この内東御市内に存在するすべての「野馬除跡」が市指定史跡に指定されています。
平成3年度(1991)と8年度(1996)に発掘調査した御牧上地点の野馬除跡は、長さ199mにも及んで残存している地点で、場所によって湟の幅3.5m〜5.5m、深さ0.2m〜1.3mと規模に相違のある構造を見せており、また、平成9年度(1997)に発掘調査した大原地点の野馬除跡は、低位な尾根に長さ175mに渡って残存し、両側に積み上げた土塁の真芯間は8m、土塁頂部からの深さ1.5mを測る大規模な構造になっていました。
野馬除跡は、長倉牧(軽井沢町)や塩野牧(御代田町)、植原牧(松本市)などに僅かに残されていますが、放牧場の規模が分かるまでに現存しているのは、全国でもこの望月牧だけです。放牧場の詳細な構造や機能、牧監が政務を執っていた場所や馬の飼育に携わっていた人々の生活の場など、野馬除跡を起点にして更なる解明が必要です。

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所有者 東御市他

所在血 東御市御牧原238他

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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