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史跡 山浦真雄宅跡

山浦真雄宅跡(やまうらまさおたくあと)

山浦真雄宅跡(やまうらまさおたくあと)
所在地東御市滋野甲1939番地
所有者山浦 愛幸
指定昭和37年7月12日(県指定)

 山浦真雄宅跡は、千曲川の断崖に臨んだ景勝の地にあり、伝説で有名な"牛に引かれて善光寺まいり"の「布引の岩」が千曲川をはさんだ対岸の絶壁に眺められます。

敷地内には、真雄・清麿兄弟を偲ぶ山浦兄弟生誕碑があり、兄真雄が、「老の寝ざめ」を著わした旧居宅跡と鍛冶場(間口2.04m・奥行1.96m)および石造の水瓶2基が残っています。

真雄は、文化元年(1804)2月11日この地で生まれ、少年の頃から剣道を学び、23歳で江戸に出て一刀流を修めています。文政11年(1828)3月、25歳で江戸の水心子正秀の弟子秀世を尋ね、作刀の手ほどきを受けました。

翌年、上田藩の刀工、河村寿隆の門をたたいています。天保10年(1839)、36歳で小諸藩主牧野氏より佩刀(身に付ける刀)製作の命を受け小諸に出て藩工の生活に入っています。

弘化4年(1847)中国筋へ修業の旅をすること1年、嘉永元年(1848)4月上田城主松平氏の要請によって上田城下に移りました。以来 45歳から50歳までの円熟した5年間に名刀を残しています。嘉永6年(1853)松代藩主真田幸貫に招かれ藩工となり、長巻百振りの製作の命を受けてい ます。一子兼虎も呼び寄せ立派な作品を多く残しています。【明治4年(1871)隠居、この地赤岩で悠々自適・明治7年(1874)71歳で没。】真雄は 信州刀剣界で優れた鍛刀術を残し、立派な人格は清麿・兼虎ら山浦一門刀工を育てています。

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文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2022年11月10日

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