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桜坂偃月刀橋及び碑

 

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桜坂偃月刀橋及び碑(さくらざかなぎなたばしおよびひ)

市名勝

平成2年4月27日指定

東上田区東方の桜坂に、文化11年(1814)、田中友年(たなかともとし・本名は田中佐内久福、千載<歳>亭・鶴廼(つるの)友年・田鶴友年とも号す)によって建てられた石橋改修の記念碑があります。
碑の前に横たわっている石は橋の欄干部分で“なぎなた”に似ているところからその石橋を「偃月刀橋」(なぎなたばし)と呼ぶようになりました。(偃月刀とは弓張月の形をした中国の刀、半月のことをいいます。)碑文は大田南畝(おおた なんぽ)(蜀山人 江戸の天明狂歌の大家)の撰文があり、石橋の様子や、この桜坂からの眺望のすばらしさなどが記されています。
また、「賀筵友鶴集(がえんとものつるしゅう)」(文化15年-1818-の友年の傘寿記念集)には、偃月刀(長刀)橋を中心とした桜坂一帯を描いた挿絵があり、「さくら坂に薙刀橋といへる年久しく土中に埋みて其名をなどるばかりなしを、あらたに修理を加へて往来を安からしめ、東都なる大田氏前の四方大人(南畝)に碑の銘を乞いて此所にたてぬ。行かふ諸風子(風流人)足をとどめて碑文をのぞみ翁(友年)の陰徳(かくれた徳)と風流とを称嘆せざるはなし」と記されています。
田中友年は東上田の庄屋田中久継(ひさつぐ)の七男として生まれ、若いころから信仰心が深く、この碑の近くに「光明真言二百万遍供養塔」(こうみょうしんごんにひゃくまんぺんくようとう)を建てています。
庄屋職を息子久通(ひさみち)に譲ってから本格的に狂歌を作り始め、大田南畝の高弟の滝水米人(たきすいこめんど)を師と仰ぎ、当地方の狂歌(俳諧歌ともいう)界の中心として活躍しました。

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所有者 東上田区

所在地 東御市和・東上田7101-5

署名

文化・スポーツ振興課文化振興係(文化財)
電話:0268-75-2717 | ファクシミリ:0268-63-5431
メール:bunka-sports@city.tomi.nagano.jp

  更新日:2023年3月31日

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